矢作俊彦オフィシャルサイト

【1】隣人は静かに笑う

あの年の六月四日に福岡空港で起こった、いわゆる「自衛隊最初の戦争」から、まるでしりとり数え歌のように続いた混乱もやっと収まった後になって、いったいあの出来事の本当の発端はいつ、どこにあったのだろうと、一夜、談義が盛り上がった。

西鉄福岡駅ガード下の屋台「王府井」の軒下である。たまたまここで、大手新聞社の社会部記者が何人も、顔を会わせ、同業のよしみで酒を酌み交わす内に、そんな按配になったのだ。

梅雨の始まる少し前のこと、宵風も肌に心地よい、屋台で盛り上がるにはうってつけの夜だった。

「何と言っても、これはその前の十年に積み上げられた、日中間の政治と経済のアンバランスですよ。それが弾けたんでしょう、脱線事故みたいに」朝会(あさえ)新聞社社会部デスクの澱口は言った。

「的外れだわ」と、同じ社会部の香島珠子は言った。彼女は澱口とは同期で、肌浅黒くスポーツマンタイプのこの男が今までに手を出してきた女子社員を全部知っていたので、いたって遠慮がなかった。

「金正日が中国訪問をしたって同盟通信が第一報を入れたときよ。それが、結局始まりでしょう」

彼女はすでに酔っていた。赤く潤んだ目で澱口を見上げ、鼻にかかった声で言った。

「ねえ、分かる? あの事件の間、我らが将軍様はずっと北京にいたんだもの。−−病院にこっそり、身をひそめて」

それを聞くと、読切(よみきり)新聞の社会部デスク、亀井戸はあたりをきょろきょろ見回した。あの「戦争」に続いて起こった叛乱と、失敗したクーデタの後、この町にも半島の北側からやってきた連中が急増していたから、その耳を気にせずにはいられなかった。難民という立場などおかまいなしに、あいつらはすぐ喧嘩を吹っかけてくる。

高校までずっと東京の聖心だった珠子は、何の気兼ねもなく話し続けた。

「将軍様は、今ではすっかり資本主義が気に入って、バレンチノのビジネススーツを着てるじゃないの。そこにも、東京より大きなバレンチノが出店するのよ」

彼女が指差した筋向かいのショッピングビルは、電気が消え、足場に取り囲まれていた。潰れたのではなく、親会社ごと買収され、化粧直しをしているのだ。噂では、当の将軍様が率いる投資会社が買ったという。

亀井戸は、珠子の意見を鼻で笑い、

「珠ちゃんや。それを言うなら、あの年の三月、アメリカがイランの核施設を空爆したことを思い出さなくちゃ。最初の最初といえば、あれしかないさ。なんやかや言っても、あの空爆を中国は容認したんだからね」と言って、彼女の肩にそっと手を回した。

その手をさりげなくだが断固とした様子で、インターセプトしたのは、サンキュー新聞社会部の大橋菊枝だった。

彼女は、亀井戸の手をつかんだまま、キャンキャン甲高い声で、いやあだ、そんなことないわよと、亀井戸を見つめた。

「中国はまったく知らなかっていうのが真相じゃないの。後で聞かされて、国務院は大騒ぎになったって」

「いや、国務院には内々知ってたのがいるんだ。党のお偉いさんが知らなかった。問題になったのはアメリカの核施設爆撃じゃなくて、知ってて教えなかったやつがいたってことだよ。あれで、中国は大騒ぎだったんだ。爺さんどもは、胡錦濤が自分の駒だと思っていたからね。どっこい、彼の下では文革第二世代の実務派がしっかり神輿を担いでたんだ。わかるか? ねえ、珠ちゃん」

「わからないわ。教えて」と、菊枝が鼻で息をした。

「ツクネとコブクロ」珠子は店員に叫んだ。

亀井戸は菊枝の手を振りほどき、大口を開けて焼きたての餃子をポンポンと胃袋に放り込んだ。

「それはそうです」と、言ったのは澱口だ。彼には、何でも「そうです」と言ってから反論をするくせがあった。

「いや。中南海の内部抗争ってのは、たしかにきっかけだったでしょう。でもですね。発端というのであるなら、あれほど独立の機運に燃えていた台湾で、大陸融和を唱える国民党が地滑り的な勝利をしたとき、−−あのときじゃないですか。あのとき、中国の若手実務派は夢を見たんですよ。党の爺さんたちはまだ丈夫だった、ことに江沢民がまだ生きてたからね、あれがなかったら、あんな冒険は夢見なかったでしょう。爺さんたちにとって朝鮮人民軍は、いつまでたっても可愛い初孫なんだから」

「当の江沢民が病気になったのも大きいですね」と言ったのは、西日本タイムスの野依(のより)だった。この男だけ、ずっとビールを飲み続け、鼻の下に泡をつけている。

「そっちの方が大きいでしょう? きっかけとしては」

「だから、きっかけじゃない。発端だったら」と、亀井戸が言った。

「ピーマンとスジ、ホーデン」と、珠子が言った。

「江沢民個人には、もうさほどの権力はなかったんじゃない?」と、大橋菊枝が言った。

「発端なら、富田林首相が靖国神社には詣でるか詣でないか、今は決められないが、これはあくまで自分の心の問題なので、決めても口にしないなんて、変な答弁したときよ」

「それじゃ、風が吹けば桶屋が儲かると同じだ」と、澱口は怒った。

亀戸が焼酎を注文したので、菊枝と野依もお代わりを頼んだ。

「そうですね」と、澱口は言った。「ぼくは、まだいいや」

「ウィンナーと豚足」と、珠子は言った。

「発端ときっかけって、どう違うんですか」と、野依は聞いた。

亀井戸は聞こえなかったふりをした。

議論ともつかない議論は、その後も延々と続いたが、EUが対中国武器輸出規制に抜け穴を開け、フランスがそれまでまったく競争力のなかったラファール戦闘機を、中国に四十機も売りつけた、あの一件に注目する者は、その夜の「王府井」にはひとりもいなかった。

実は、ここがあの事件の肝心要の部分だったのだが、軍事音痴の日本の新聞記者ではしかたない、とんと気づかぬことであったかもしれない。


もし、ずっと後世の学者がここにいたら、迷わず、発端は二〇〇五年、北米大陸を襲ったハリケーン・カトリーナだと答えただろう。

いかにも、世界帝国は、版図の完成ととともに崩壊が始まっている。アレキサンダーも、カエサルも、ジンギスカーンも、コカコーラも。

それはアメリカ合衆国にも当てはまる。たとえどのように軽かろうと、世界に覇を唱えた帝国なのだから。

あのハリケーンをきっかけに、合衆国に広がった厭戦、厭大統領の気分は、イラン空爆と共にいよいよ加熱した。不思議なことに大したデモは起こらず、逆に人々は、皆一様に政治に耳を塞いだ。ワシントンという町が自分たちの国ではなく、どこか遠い離れ小島の田舎町でもあるかのように振る舞おうとしたのである。

アメリカ全土に波及したこの気分は、(気分だけで評価するなら)誰もがヴェトナム戦争最末期、ヒッピーやロックミュージシャンが不意に政治から遠離ったあの時期を思い出さざるを得なかった。

200△年、キプロスで小規模な衝突があった。

待ってましたとばかりにギリシャ軍が介入し、トルコ系住民を多数処刑したのだが、この軍事行動とはとても呼べない、私憤に満ちた残酷極まりない殺戮が、映像となって世界の茶の間を駆けめぐり、波紋を呼んだ。

その直後、トルコが北キプロスに派兵した、同時にギリシャとトルコとの国境で武力紛争が起こった。あっという間に両国の戦禍は拡大した。

フランスおよびドイツはギリシャ支持を掲げ拳を振り上げ、NATO軍による実力行使を求めた。

するとイギリスは、これに激しく反発、アメリカもまたトルコとイギリスを支持して、EUばかりかNATOまでもが紛糾し、収拾がつかない混乱に陥った。

国連では中国が「人道的な見地から」トルコを断固支持、ロシアはNATOとともにギリシャへの支援を声高に叫んだ。この背後には、中央アジアの石油利権と、パイプラインの建設資金が密接に絡んでいた。つまり、ユダヤ資本とロシアの間である種の物々交換が行われたのである。

アメリカの国連大使は、その最中にもなお国連の不正経理追及と組織改革を断固要求し、安保理は機能不全を起こす。

国連は真っ二つに割れ、世界の隅々、ことに第三世界に対して取り返しのつかない無力感をもたらした。

明けて200×年、アメリカでは大統領が民主党に替わった。すると、世界は驚いた。ワシントンの変化にではない、ロンドンに始まりストラスブールで明らかになった変化に。

分担金払い戻し特権の措置期限を半年後に控えたイギリスが、唐突にEU脱退を宣言したのである。

その直後のことなのだ、アメリカがイランの核施設を空爆したのは。

そして、中国は、大方の観測に反して沈黙を守った−−。

米中が秘密協定を結んだという観測が世界を駆けめぐった。イランの核施設破壊と中国辺境の反北京勢力一掃を、米中両国でバーターしたというのである。もしそれが本当なら、損得勘定の天秤ばかりの片端に、台湾が乗っていたのかいないのか? あるいは、北朝鮮は乗っていたのかいないのか?

こんな時期だから、フランスのラファール戦闘機が四十機、こっそり中国へ売られていたというニュースは、扱いがとても小さかった。それも、三年も前の話である。話題になったのはフランスと日本でだけだった。

そして、−−

五月の終り、北朝鮮の将軍様が中国を訪れ、北京で姿を消した。

西側のメディアは一斉に、病気治療のための極秘入院だという中国消息筋のコメントを流した。

イランでは、イギリス大使館が焼き討ちされ(アメリカ大使館は、とっくのとうに夜逃げしていたのだ)、その最中に訪れた日本政府特使が、火力発電施設を援助すると宣言して、世界をあきれさせた。

と、まあ、これが200×年六月の、この国を巡る世界の様子だった。

そんな六月最初の週に、あの「戦争」は起きたのである。


「ソ連がなくなったのが、そもそも悪いんだよ!」と、想像力がちょっと不自由な日本の新聞記者は、叫んだものだ。澱口の六杯目の芋焼酎はとっくに空になっていた。

「火蓋を切るか?あらかじめ失われた戦争!」

整理部に長く飛ばされていた野依は、即興の一面大見出しをこしらえ、大声で読み上げた。

そのときである、それまで黙って聞いていた隣の酔っぱらいが、彼らに向かってこう言い放ったのは。

「失われる前に、一度ちゃんとやってみたかったですよねえ。本式のやつをさ」

三人はこの酔っぱらいを無視すると共に、彼が自衛隊員でないことを沈黙の中にそれぞれに祈った。

「ちょっと、済まないが」という声が、それを破った。

それは週三度、ガード下に店を出している易者の老人だった。カウンターの席にあぶれて、煮込みの鍋がぐつぐつ音を立てている七輪の脇で、夕食がわりのラーメンを食べ終えたところだった。

「あんた、手を見せてくれ」

言うが早いか、酔っぱらいの手を取って天眼鏡を近づけた。見る間に、その頬が青ざめた。

「あんたもか。これは、目の迷いではないらしいぞ」鯰髭がひくひく動いた。

「運命線がなくなっている。私だけじゃない。あんた、失礼だが、お手を拝借」と、今度は珠子の手を調べた。

「ない、ない、ないぞ。どうしたことだ」

呟きながら、断りもせずにカウンターの中の賄いの娘の手を取り、覗き込んだ。

「あっ。ある。この娘にはある」

「牛タン食べないか?」と、ぶっきらぼうに賄いの娘が言った。

牛タン焼きは、「王府井」の名物だ。

「アメリカ牛でないぞ。中国の牛。先月から輸入OKね。とても安全」

運命線、運命線とぼやきながら、易者は自分の商売道具を担いでガードの方へ立ち去った。

「どうした、おまえたち。今日は元気ないな」と、娘が血の滴る牛タンを振りかざして言った。

五人の新聞記者は、そのときやっと気づいた。あの事件が起こってすぐ、姿をくらませていた中国人の賄いが、また炭火の前に戻っていたのである。

そればかりではない。裏で食器を洗っている青年も、隣で鳥肉を串に指してる青年も、隣で談笑する出勤前の中州のホステスも、−−あの事件のとき、沈没船を捨てたネズミのように、一斉に消え失せた中国人が、町に大勢戻っていたのである。

「ねえ。あんたたち、いったいどこへ行ってたの」珠子が尋ねた。

彼らは言った。

「私、前の私でないよ。勘違いよ。中国人沢山いる。どこでもいる。いつも、おまえら隣にいる」

隣のホステスが割り込んで、言った。

「お客さん。店に来るヨロシ。記念に大サービスよ」

「何の記念だ?」と亀井戸が尋ねた。

「中国戦闘機、日本まで飛んできたあるでしょう。その記念。私の店、『夜来香』、あれからずっとその記念よ。ハッスル、ハッスル、アニバーサリー」

「いい気なもんだ」と、亀井戸がすっかり酔っぱらった口調で言った。

皿を洗っていた青年が朗らかに笑って、立ち上がった。

「私たちいない、お前たち困る。いないと今頃、朝鮮族で一杯だぞ」

その言葉は嘘でも大風呂敷でもなかった。海上保安庁と自衛艦隊が厳しい監視ラインを敷いているというのに、新潟を始め、敦賀や舞鶴のような小さな町まで、国を捨てて逃げてきた北朝鮮人で一杯なのだ。

「今、朝鮮族と言ったのか?」と澱口が驚いて尋ねた。

「今、日本に押し寄せているのは、中国の朝鮮族じゃないぞ」

「同しことよ。あの人たち、昔から同しよ」

新聞記者は皆一様に押し黙り、こう思った。

結局、すべての出来事の最初のきっかけは、二千年だか三千年前、この茫洋と巨大な隣人がわれわれの祖先の前に登場したときに違いない、と。


しかし、結局の所、今に至るも日本人が思い及ばないのは、最近あの事件が中国では「6・4事件」と呼ばれていて、それは、二十年も昔の六月四日に北京で起こったある事件を忘れさせる効果があったということだ。もちろん、どこかの誰かがそうしたいと望んだ、それは当然の結果でもあるのだが。

第2章(前)へ